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素数の歌





素数の歌





ほんとに素数っぽいです.



リンク先で再生.
IEじゃないと再生されないかも...





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BLOGOSでの税金論争を受けて少し考えてみる

BLOGOS


今朝からなんかBLOGOSで消費税に関する議論が勃発している.


概要としては,まず藤沢数希さんが
『なぜ増税は消費税でなければいけないのか?』
というタイトルで消費税増税の必要性を説いている.

その後,小飼弾さんが
『なぜ増税は消費税であっては駄目なのか』
というタイトルで反論.

それを受け池田信夫さんが,
『消費税は逆進的ではない』
というタイトルで小飼さんの説明の誤解を指摘.


ここからどうなるかスゴク楽しみだ.






僕としては池田さんの「消費税は逆進的ではない」という意見がとても興味深かった.

高校の政治経済の授業では実際,消費税は逆進性をもつものの代表のように教えられたからだ.


池田さんはその論拠としてこれを引用している.

消費税は本当に逆進的か


6ページにそれが書いてある.
消費階級データから生涯所得と生涯消費税負担率を計算して,
「消費階層別に生涯所得階級を定義すると,消費税負担は「累進的」」なんだそうだ.

グラフもリンク先にあるのでぜひ見て欲しい.


なぜこのような結果になったのか疑問でしょうがない.


生涯所得に対する食費の消費税負担率が所得が多いほど高いのは
消費全体の中に占める食費の割合が所得が多いほど低いからだろうとはおもうが…

なぜ一般的に消費税が累進的であるような結果になっているのか.


消費税が非課税となるような取引がなんなのかから考えよう.

No.6201 非課税となる取引






(1) 土地の譲渡及び貸付け
(15) 学校教育
(17) 住宅の貸付け


この辺の項目が大きく関係するんじゃないか?

例外も多少いると思うが
所得の低い人ほど
所得に占めるこれらの割合は一般的に高い.

所得の高い人ならマンションや一軒家を買えるから,これには消費税がかかるので
所得に占める消費税の割合は変わらないが,
所得の低い人ほど家を買うお金なんかなく,借家に住むことになる.
とくに都会は狭い部屋でも家賃が高いので
所得に占める家賃の割合が高くなる.
これには消費税がかからないので,所得に占める消費税の割合は低くなる.


学校教育だってそうだし,
土地だって同じことがいえるだろう.

これらは生活するために払わざるをえない支出であるから,
回避することもできないので
所得からこの値は引くべきなんじゃないだろうか.


所得からこれらを引いて考えると
消費税の累進性はなくなるのではないだろうか?



また,
極論だが
ホームレスを考えてみる.

彼らの収入が空き缶を集めて手に入れた僅かなお金だったとして,
彼らは所得の100%を消費税のかかるものに使うから,
彼らの所得に対する消費税の割合は5%のままだろう.


これは所得が最上位にある人達よりも高い割合だ.


これでは明らかに逆進性である.





じゃあなぜ消費税に累進性があるのだろう.

僕の技量ではそこにたどりつけなかった.

もう少し今後のBLOGOSを読んで勉強していこう.







いま




I loved yesterday.

And I love today, too.

So I'll be able to love tomorrow.







Twitterには社会的な支援があってもいいのではないか?

Twitterの利用者が増えるにつれて,不具合が多くなってきた.
いまやTwitterを利用するのは個人だけじゃない.企業や政府の利用価値は非常に高い.
Twitterの利用によって政治や経済がよりなめらかに動くことが出来るのであれば,
社会にとってそれは有益なことなのだし,もしそれがもっと一般的になれば,社会はTwitterに依存し始める.
そうなったとき,不具合が今のように起こり続けていたら,それの社会への影響はとても大きなものになると思う.

それを防ぐために,もっとTwitterが安定したシステムになるまでは政府の支援を受けてもいいのではないだろうか?

その方が税金によって集められたお金を生金に出来ると僕は思う.




ところで,
ここまで言っといてなんだが
Twitterの商業的な価値って数字ではどのくらいあるんだろう...

と疑問に思ったので調べてみた.


「商用Twitter」の意外な好成績:Dell社の売上は300万ドル

すごいな.

いまやTwitterは就活にも必要なんだとか...


でも,確かにTwitterは様々な面で便利だと実感する.
高校生あたりからTwitterは必修にしてもいいんじゃないかってくらい
リアルな社会の情報が入ってくる.


例の経済学中学生などにみられるように
そのうちTwitterで世界を学んだ若年層が,社会に大きな発言力を持つようになるのかな
と少しわくわくしている.





秋葉原通り魔事件から二年


秋葉原通り魔事件から二年.
あの事件に国は何を学んだのだろう.

なにも変わってないような気がする.



加害者に賛同する人たちもネット上には数多く見られる.


現実は腐ってる.

本当にそう思わせられる.


でも,
そう思わない人もたくさんいるとおもう.


なら,そう思う人と思わない人の差はなんだろう.




まず,世の中が腐ってると考える人は世の中に対して否定的な意見を持っている.

なぜ否定的な意見をもつのか?

それには様々な理由があると思う.

秋葉原通り魔事件の加害者の場合,
リストラや努力しても上手くいかないことに対する不満などがあったと報道された.

しかし,根本的な理由は彼の考え方にある.

あたりまえのことだが,リストラされた人は必ずしも事件を起こさない.

普通に前向きであれば事件を起こすことなんかない.

ならなぜ前向きになれなかったのか.

先が無かった.絶望したからだ.



これからどうやって生きていけばいい.

頼る人もなく,孤独な自分が生きるすべなんかない.

なんとなく生きたとしても,
そこに幸せなんかない.

友達もいないし,恋人もいない.
家族にも突き放される.

自分は何のために存在している.

存在意義を見いだせない.

こんな世界,どうなろうとしったことじゃない.

だって死んだらみんないっしょなんだから.

宗教なんかフィクションで,現実的じゃない,ただの理想論でしかない.

そうなれると本気で思ってるのは現実的な思考をしないバカだけだ.



こんなところなのかもしれない.

でもいってしまえば,絶望なんかなかった.

リストラといっても彼の場合延期されていたし,
仮に即クビになったとしても,社会にはちゃんと救済するシステムがある.



それをなぜ見なかったのか
なぜ,見れなかったのか.



彼はまず,それを知らなかった,もしくは思いつかなかった.

なぜか?

知る必要がなかった.

生きることを放棄していたのだから.


なぜ放棄した?

人生が楽しくなかったからだ.

なぜ楽しいと思えなかった?

ひとりだったから,
楽しみ方を学べなかった.

そして,
ひとりだったから,
人付き合いが上手く出来なかった,


人付き合いが上手くなかったなら,
彼は他人に疎外される.

普通に接することができない人に
一般的な人たちはついていかない.

本能的にそれが危険だと感じるからだ.




孤独はエスカレートする.

この悪循環は何が止める?



他人が理解してあげるなんて,
このご時世,存在するだろうか?


変わるのは本人しかいないだろう.

本人以外のだれが本人を助けられるというのか?


ならば,一体どうやって抜け出す?



人付き合いを学べばいい.



ルックスが悪くても,
学力がなくても,
人に好かれる道はかならずある.




性格がいいと思われるように努力し,
絡みやすいような雰囲気を作れるようになる.

それが第一歩だろう?





周りの環境は人付き合いのしかたで大きく変わる.




だが,この盲目の通り魔にはそれができなかった.





僕は人付き合いの出来る能力こそ,
人間で一番不公平な能力はないと思う.





人付き合いはだれも教えてくれないのに
こんなにも人生を左右するものなのだ.

人付き合いは日常から学ぶが,
運悪く,たとえばゲームやネットや勉強しかしてこなかったりした場合学ぶことはできない.


そして人付き合いを学べなかった人はひどい場合はひきこもりや,ニート,いじめられっ子や最悪,犯罪者になる.




それらは親の責任だろう?

親がなぜそれしかやらせなかったのか?

こどもが好きだからだ.

だが,間違った愛し方をしてしまっただけなのだ.





でもそんな親は必ず出てくる.



その子どもが犯罪者になるようなことは起こるべきではない.




それなら,
社会全体として,それを防止するすべはあるのか?



義務教育で人付き合いを学ばせるのだ.






自分が小学生や中学生の時に思ったことで
道徳教育を真面目に受けてる人間が少なすぎるということがある.

ほんの一握りしかその重要性を理解していない.


これでは全く意味がない.


また,道徳は洗脳に近いような気もする.


だから僕は道徳は道徳に反してるじゃないか.とも思うけど,
いまはその議論を省く.

そして
そんな無意味になっている道徳の時間に,
人付き合いの方法を学ばせればいいじゃないか.



これは生きる上で最も重要な能力ではないか?



日常だけでなく,ビジネスでも役に立つだろう?

まともな話し合いができるようになるし,
相手の気持も考えられる人間が
圧倒的に増える.








人はひとりでは生きられない,
友達を作る能力を底上げしてやれば
きっとみんなの人生も綺麗になるんだと僕は思う.









AVATAR(ネタバレ注意)

今日AVATARを見た.







ものの数分でその世界に入り込んでしまった.



まず,CGがとても綺麗だった.

3Dで見たかった.

これでこんなに美しいなら3Dはきっと本当にすばらしいのだろうと思った.



その後,その世界観を考えた.


まず,舞台はどこか遠い星.


その星には知的能力を持った先住民”ナヴィ”がいて,そこに文明を築いている.


その星ではあらゆる生命が神経を繋げ,ネットワークを広げることができる.

それによって,自然や,動物たちと心を通わせることができる.

そして彼らはそれを利用して生きる.

まさに共生しているのである.



地球でも共生によって生命は生きているが,
ここでは共生の度合いを高め,より互いに依存しあう星を想定している.



そして,そこには地球人の求める鉱石がたくさん埋まっている.


なんでも一キロあたり20億ドルで売れるとか


それを求めた地球人がその場所を先住民から一方的に奪う.


結局,ナヴィやその他のその星の生命と戦争になる.






...
一部ではこの作品に対する批判があるようだ.

たとえばアメリカでは保守派が反米,反軍の映画だと言っている.


アメリカを地球人として,
鉱石は石油
その星は中東
ナヴィはその地域の人とするとなんとなくうまく合致してしまってるように感じる.


そんな感情を映画の視聴者に抱かせてしまうことで,アメリカ国内でも反米感情が生まれてしまう.





しかし,
僕はそれで正しいと思う.
いままでがそもそも情報操作された幻の認識だったからだ.

普通,人間は自分を肯定しようとする.

肯定するために現実を離れてしまう.

そして現実から離れたところである映画のなかで,
現実を垣間みせる.

それによって彼らは現実に帰ってきて,
自分たちを客観的に見ることができるようになる.



しかし,
帰ってこない人もいる.


アバター鬱という言葉ができた.


アバターをみたあと,欝になる人たちが生まれたのだ.




3Dでリアルに表現されたAVATARの世界観に感動し,
また,そこから現実を見ることで,
いままでも存在していたがさして気にしていなかった現実の短所に目がいってしまい,
現実が嫌になる.

自分を肯定するために,
脳はアバターの世界が自分の現実だったらいいのに
という願望を意識の上で叶えてしまう.


本当の自分はあっちにいて,こっちは夢なのだという錯覚.


それは理性ではそんなことはないとわかっても,
深層意識のなかでそうなってしまっている.


逃れられないのだ.



そして欝になる.






ただ,だからこそ
鬱っていうのは簡単に治るもんだと僕は思う.


深層意識にわからせればいい.



深層意識が納得すれば現実に向き合える.









アバターをみて
世界としっかり向きあって,
そのために動こうとするひとが増えれば

アバターのような争いは今後減っていくだろう.





だが,そのような争いは消えることがないとも思う.



一握りの人間によって情報が変えられてしまうことがあるからだ.



それを防ぐにはそのようなことが起こらないようなシステムを作らないといけない.



そのシステムの構造はいまだに分からないが,
いつかそのようなシステムが作られ,世界中に広がればうれしい.







開設して一ヶ月以上たったが,やっと時間が取れるようになってきたのでこのブログも更新していきたいと思う.


大学生活を初めてたった二ヶ月だが,本当にいろいろなことを学び,考えた.


数学のことはもちろんだが,他にも社会に対する疑問を深く追求したり,
人間の脳の活動を深く考えたり,特にコンピュータやインターネットに関することはこれまでよりもかなり多く学んだ.


最近の話になるが,twitterを始めた.

世界のつながりを強く感じた.

自分の視野が広くなるのを感じた.


この先に面白そうなものがある.

純粋にそう思った.



30人あまりの人をフォローした.


政治家の方から,ビジネスマンの方や,科学者の方,漫画家の方など,
本当にいろんな人が世界にいて,その人たちがリアルに生きていて,
自分が生活するときに,同じ時間を違う視点で生活していると本当に実感した.


近くにそのひとたちがいる感覚だった.


僕はとにかくすごい人がいると奮い立つタイプだ.

自分より圧倒的に違う人間に会うと,
その人を超えたくなる.

年の差や環境の差は関係ない.

とにかくその人に追いついて,その人の見てる世界を知りたいのだ.

そしてさらに上の世界を見てみたい.




実は僕は色弱である.

細かい色の差がわからないので,
僕の見える世界はきっと周りの人が見る世界よりも色あせているのだろう.

でもだからこそ僕は多くの世界を知りたい.

それを知ることで,僕の世界には色がついていく.


僕にとってその色がつくというのは
あるモノを見たときに,そのモノにまつわる世界を見ることができることである.

世界をみるというのは
例えば電車を見たとき,
電車の走るシステムについて考えたり,
その電車がどのように作られたのか考えたり,
また,電車が経済に与えた影響や,
もし電車がなかったらどうなっていたのか
そういったことを考えたりすることだ.

それは例えば技師のひとが考えるのと,経済学者が考えるのと,大企業の経営者が考えるのと,政治家が考えるのとでは違ったものになるだろう.

その違いは,何かの分野に対する知識の差であると僕は思う.

知識を広げることは視点を幅広く持つことにつながる.

ある知識を持っていたら,
何かそれにまつわるものを見たときに
その知識が一瞬,呼び起こされる.

そしてそれを幅広く持っていたなら,
そこにそのモノの物語ができる.


電車はこんな歴史の中で生まれて
それにはこんな背景があって
それはこんなことを僕たちにもたらしてくれている.


そんな物語が
一瞬,頭をかけめぐる.


その感覚が
僕はたまらなく好きだ.


世界が鮮やかになっていく.


それはモノから感じる質感みたいなものが変わるからだと思う.

大多数の人とは見え方は違うだろうが,
そこにある世界はとても広く,
世界の見方が変わっていくのだ.


だからこそ学びたい.

どんなことでも僕は体験したい.



なぜ僕が数学をやるのかも
そこに理由があるとおもう.


数学は本当に抽象的だ.

だからこそ全ての世界を内包している.


今の数学が人類の役に立つのは百年後だと言われる.

だからこそ数学は大切だと思う.

いいかえれば
数学は今後百年の世界を知っているのだ.


その世界はどんな世界なんだろう.

考えるとわくわくする.


ドラえもんは未来にはいるのかな
とか
戦争が起こったりしてなきゃいいなとか

子供みたいな考えだけど,
それはきっと数学が教えてくれる.



よく誤解する人がいるが,
数学は計算するだけじゃない.

そこにあるのは完璧な論理.


固いように思われるかもしれないが,
論理というのは仮定によって,実に柔軟に変わっていく.



仮定は論理の出発点であって,虚構ではない.

仮定を定めることで,そこから論理を展開していく.

その論理が矛盾したなら
背理法が使えて,真実がわかるし,
矛盾がないというのであれば
それは論理系として完成している.

仮定を変えることで,
論理系の様子はまるで変わってくる.

それは
ある知識を得たことで世界の見え方が変わるのとよく似ている.




だから数学は好きだ.

本当は数学を好きになった理由はもっと沢山あるが,
挙げていたらキリがないのでこの辺にしておく.







このブログでは,何でもない日も更新するが,僕の興味のわいた分野の話も出来る限りしていこうと思う.

数学の話が多くなるかもしれないが,他にも普通に生活していて思ったことをズラズラ述べていく.

反対意見もたくさんでるとおもう.

賛成意見もあるとおもうが,その見え方はまた違ったものだろう.

だからこそたくさんの人の意見を聞きたい.

僕の世界をもっと鮮やかにして欲しい.

そうしてもらうために,このブログを充実させ,
飽きさせないように努力する.

また見たいと思えるブログを作ろう.




まだまだ未熟な僕だが,あなたの人生のほんの僅かな時間だけでもこの数学家の小言に付き合ってもらえたら幸いである.





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